斎藤 武一郎インタビュー

エンタメで稼ぐ!!しかも、楽しく!!

#9   斎藤 武一郎 
アクトタンク株式会社 代表

VISIONARY STORY
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Prologue -やってみてから、考える。道は一つじゃない。

「僕はあくまでも、ビジネスマン。クリエイティブな仕事に関わってもね」と語り始めた斉藤。エンタメの世界に心惹かれ、ハリウッドで映像制作にも携わった彼がいま笑顔で言い切れるのは、ビジネスというアプローチから、エンタメ界で力を発揮する道を見つけたからだ。そしてその道を見つけることができたのは、心底好きな「エンタテイメント」という軸をぶらさず、広告やCG制作や流通などアプローチを変え、さまざまな挑戦を続けてきたからに他ならない。
やりたいことにたどり着くための道は一つではない。その言葉の意味を教えてくれる斎藤武一郎の人生に迫る。

interview / Junpei Ota, Jun Tatesawa, Kazuhisa Fujita, Noriyuki Nakajima
text / Natsumi Nakamura
photo / Noriyuki Nakajima

Chapter 1 - プロローグ

斎藤 武一郎が語る「プロローグ」

一橋大学を卒業後、博報堂に入社。しかし、その3年後には世界最大のコンサルティングファームであるアクセンチュアに飛び込む。さらにアメリカに渡り、VFX制作会社を設立。そのまま成功への階段を上がると誰もが思った中、日本に帰国し東京大学大学院へと進学する。そして現在は有名ファーストフードチェーンの再建事業などを成功させてきた株式会社リヴァンプのマーケティング会社であるアクトタンク株式会社の代表として、多くの小売流通業のコンサル案件に従事。2012年3月からはシネコンチェーンに取締役として出向し、成長戦略に取り組んでいる。
斎藤の生き方には、2つのポイントがある。一つ目は「まずはやってみる」という姿勢。挑戦することから彼は多くのことを得て、自分の活躍すべき舞台を見出した。「コンサルが思いのほか自分に向いているなんて、やってみて初めてわかりましたよ」という言葉のように、挑戦する姿勢がなければ彼の現在の姿もなかったかもしれない。 そして、もう一つは軸。一見するとてんでばらばらのように感じられる数々の経歴だが、話を聞いていくとすべてが一つの軸に集まってくる。それが「エンタテインメント」だ。その軸があるからこそ、斎藤はぶれることなくまっすぐに挑戦を続けられているのだろう。
「やりたいことがやれていない」。そんな言い訳をして、挑戦から逃げてしまっている人に彼のメッセージが届き、もう一度自分の軸を見つめ直すきっかけになればと思う。

Chapter 2 - 医者の道から、エンタテインメントへ。

斎藤 武一郎が語る「医者の道から、エンタテインメントへ。」

―「エンタテインメント」の世界に進もうと思われたのはいつですか?
医者の家系なので、医者になるのが当然だと思って育ってきました。でも、大学受験の途中でわからなくなってしまって。僕よりも真剣に医者を目指しているのに、受からない人がいる。僕は彼らほど必死になれているのか、本当に医者になりたいのかと疑問を感じてしまったんです。
それで、本当にやりたいことを突き詰めて考えてみると、エンタメへの憧れが残った。もし医者の家じゃなかったら、映画やCM、テレビとかもっと楽しいことができるんじゃないかという気持ちが心の中にずっとあったんです。そこから急に方向を変え、一橋大学商学部を受験しました。医者はもうやめて、商売の世界に行こうと思いました。
―卒業後は博報堂に入社されていますが、ベンチャー企業を立ち上げるという選択肢もあったそうですね。
楽天などが出始めた時期で、大学生のときからIT系のベンチャーに手を出していました。ネットベンチャーバブルで夢のある時代でしたが、画面に向かってひたすらプログラムを書いたり、ホームページを作ったりする仕事に面白みを感じられなかったんです。それよりももっとリアルに人と接する、泥臭い仕事をやりたいと思いました。
それと「新卒で同期と働く」という人生に一度の環境で経験を積みたいと考えました。まわりからは遅れて就職活動を始めて、受けた先の一つが博報堂。広告代理店がエンタメに力を入れ始めた時期で、憧れの世界に近づけるかなと。面接を受けたら面白そうな人たちもいっぱいいて(笑)、ここなら自分も自由に挑戦できると感じて入社を決めました。

Chapter 3 - 面白いエンタメを広げていく重要性。

斎藤 武一郎が語る「面白いエンタメを広げていく重要性。」

―博報堂ではプレステの部署にいらしたそうですね。
当時はプレステ全盛期で、博報堂の中でも有名なイケイケのチームでした。プレステ発売から数年で使える広告費も百億円を超えて、CMの賞もたくさん取って。監督もクリエイターも一流の人たちばかりで、彼らとの出会いは起業をしたときもとても大事なものになりましたね。
―そのまま広告の世界で仕事を続けようという考えは生まれませんでしたか?
あくまで個人的な考えですが・・・年間100本近いCMを作る部署にいて、改めて「CM制作って、サービス業だな」と感じたんです。予算も多いし、映像のクオリティも高いかもしれない。でも、エンタメではなくモノを売るためのクライアントへのサービス提供だと感じました。
経験のひとつにゲームのクオリティがそれほど高くなくても、有名な監督を起用してインパクトのあるCMを作ったら、それがヒットしたことがあったんです。CMのイメージを期待して購入した人は失望する場合もありえますよね。それは、長期的に見るとゲームへの顧客離れを促す可能性があるなと感じました。その頃からCM自体のクオリティよりも、どの商品でCMを打つべきかという経営的なことに興味が高まり始めて、CMの制作だけでなく自分で会社を作ってCMを打つ側にまわりたいなと思うようになりました。
でもずっとCMの世界にいたので商売のことがわからない。じゃあまずはコンサルで経営やITの勉強をしようと考えて、アクセンチュアに転職しました。

Chapter 4 - アメリカでのVFX制作との出会い。

斎藤 武一郎が語る「アメリカでのVFX制作との出会い。」

―CMとコンサルは全く違う世界だと思いますが、実際にやられてみていかがでしたか?
私生活はいい加減なので細かいことには向いていないと思っていましが、意外と数字には細かい性格だったみたいで。それと、しゃべることが好きなんですよ。プレゼンなどで話す機会が多いのでそれも合ってた。4年強くらいやっていましたが、マネージャーに昇進するときには上位5%に入る評価ももらいました。自分でも想像外で、やっぱり何事もやってみないとわからないですよね。
―アクセンチュアを休職して、留学のチャンスをもらったそうですね。
コンサル会社なので、みんなMBAなどを取りに行っていましたね。でも僕は全く興味がなくて。もともとエンタメ企業を立ち上げることが目的でしたし、映画の勉強をしてアメリカのソニーピクチャーズにでも入れてもらおうと思って、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の映画学科に通うことにしたんです。でも、ただ学生をやるだけの生活に1ヶ月で飽きて、すぐに行かなくなってしまいました(笑)。
そのとき、ちょうど弟がアメリカでCG制作をやっていて、ブリトニー・スピアーズの『TOXIC』のミュージックビデオなどを手掛けていたんです。その映像を見せてもらったら、めちゃくちゃ衝撃を受けた。瞬時に「これだ!これをやろう!」と思いました。日本にいる博報堂時代の知り合いに弟の映像を見せたら「CMで使いたい」といきなり仕事が取れちゃったんです。慌ててオフィスにパソコンを買って、サーバをつないでと、計画性は皆無でサイト・エンタテインメントを始めました。

Chapter 5 - アメリカでいきなり経営者へ。

斎藤 武一郎が語る「アメリカでいきなり経営者へ。」

―すぐに数億円規模の会社に成長していますよね。
ペプシコーラやアサヒスーパードライ、日産キューブのCMを手掛けたり、淳平(映像監督 小島淳平氏)と一緒に仕事をしたり。
―最初から成功の手応えがあったのでしょうか?
全くありません。事業の「じ」の字もわからない、PL(損益計算書)も読めない、利益が何かもわかっていない。それをいきなりアメリカで始めたので、大変でした。コンサルで大きなプロジェクトにも関わっていたので、「小さなベンチャーなんて簡単」と調子に乗っていたんです。でも、それは大きな間違いでした。能力もコネもない、ビザさえなかなか取れない。自分はただ親がそれなりに裕福で、いい大学出させてもらって、いい会社に入ったことだけが事実なんだなと死ぬほど落ち込みました。ストレスが原因で、顔面神経麻痺がでたくらいですよ。
―仕事が軌道に乗り、そこからさらに方向転換をなさいました。その決断のきっかけは―?
クリエイターの人数が増え、僕の業務が「クリエイターの管理」になっていることに葛藤がでてきたんです。自分のアイデアやセンスで会社を伸ばしたいのに、自分はCGが作れないので動く余地がない。加えてリーマンショックがあった。どんなに腕のいいクリエイターも景気の悪化で首を切られる。受注産業的なビジネスモデルを変えていかないと、彼らを長期で支えられる存在にはなれないんだなと感じたんです。「数億円のCG制作会社でプロデューサーとして安定するより、もっと大きなビジネスに挑戦してほしい」という弟の言葉にも背中を押され、ビジネスモデルを変える基盤を作りたいと日本への帰国を決めました。

Chapter 6 - 日本文化という壁。

斎藤 武一郎が語る「日本文化という壁。」

―日本に戻られて、東京大学の大学院に行かれたのはなぜですか?
不安定な映像制作業界でも、テクノロジーが高いものは淘汰されにくい。自分がやってきたCG制作に大学の技術者の力を合わせることで、もっとビジネス価値を高められないかと考えたんです。それで、東大のCGの要素技術やエンタメ・メディアを研究している情報学環に入って、産学連携プログラムに応募し、東大内にCG会社のオフィスを作りました。
結果として、僕の実力不足でいろいろなことを試したものの大学の技術をビジネスにつなげることはできませんでした。大学にはレベルの高い要素技術はたくさんありましたが、それを感覚重視のエンタメの世界に応用するのはとても難しい。それと、産学連携が進んでいるアメリカと比較すると、大学からビジネスが生まれにくい日本文化があることも否めませんでした。アメリカでは学者もクリエイターも、みんなビジネスマインドを持っているんです。素晴らしい技術やアートから、どうやってお金を生み出すかをいつも考えている。ちっともおかしなことじゃないのに、日本では疎まれてしまう文化があるようですね。
こうした経験から、産学連携というテクノロジー領域寄りのアプローチではなく、コンサルの経験を活かして再び泥臭いビジネス面から業界を変えていこうと考えました。そして、小売流通で有名なリヴァンプグループに入り、新しい挑戦をすることにしたんです。

Chapter 7 - 映画館をみんなが集まれる場所にしたい。

斎藤 武一郎が語る「映画館をみんなが集まれる場所にしたい。」

―日本文化を変えるため、どのような取り組みをされているのですか?
アクトタンク株式会社というマーケティング支援会社を2年前に立ち上げ、「ドリパス」という映画チケット共同購入サイトを運営している会社に出資などをしています。観客側が観たい映画を企画して一定人数が集まったら上映するという仕組みなのですが、見たいものをお客さんが自分で選ぶって夢がありますよね。そうしたことと並行して、先日リヴァンプがユナイテッド・シネマと業務提携したことを受け、今はシネマコンプレックスの成長戦略にも取り組んでいます。映画館を「観る」だけじゃなく、人とつながれる、楽しさをシェアできるという新しい場所にしたいですね。映画って、家でビデオを一人で観ている人がほとんど。でも、映画ファンがリアルな場所に集まることに意味を見出せれば、映画興行はもっと伸びるはず。エンタメに流通側から関わるという良い経験ができています。
―「これだ」と思うことに挑戦を続けている斎藤さんから、保守的と言われている現代の若者に向けてメッセージをいただけますか。
「まずはいろいろやってみて、考えろ」ということですね。みんなまじめで、答えを求めすぎ。悩んでいても答えは出ないし、やりながら考えたほうがいい。やってみると、実はあんまり好きじゃなかったり、自分でも予想外のリアクションを取ったり…。意外ですよ、やってみて初めてわかる。それで、やっているうちに“向いていること”が自然と残るんです。僕も2つの大学に行ったり、広告代理店で働いたり、VFX制作会社を作ったり。いろいろ挑戦してきた結果「エンタメに経営として関わっていく」という今のスタイルが見つかったんだと思っています。

arrangement / osica MAGAZINE

【プロフィール】
name /斎藤 武一郎
birth / 1973年
career / アクトタンク株式会社 代表
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