visionary story 2012.06.26
「継ぐ」ではなく、「つなぐ」ことで成功した二代目
「弁当屋なんて恥ずかしいと思っていて、継ぐつもりは一切なかった」と意外な過去を語ってくれた菅原。そんな彼の大きな転機となったのが、大学卒業後に勤めていた銀行時代。"良い会社"の本当の姿がパッと見え、玉子屋の見え方が180度変わったという。そして、父親の想いをつなぎ、玉子屋を継ぐという道を選ぶ――。
そのまま引き継ぐことが二代目ではない。気持ちをつなぐことを大切にし、さらに良くしたいという信念を持ち、努力を続けたからこそ二代目としての成功がある。彼の行動、人生観からは、真の二代目の姿が見えてくる。
「今日は何を食べようか」。そんな声が飛び交うランチタイムに、新風を吹き込んだのが玉子屋だ。オフィスまで配達してくれるので、なかなか来ないエレベーターを待つ必要もなければ、行列に並ぶ必要もない。しかも安く、毎日食べても飽きがこない。玉子屋は現在、1日約7万食の昼食弁当を都心のビジネス街に届けている。
その玉子屋の二代目として手腕を振るう菅原。コンビニなどのお弁当では平均3%と言われる中、0.1%という驚異のロス率を実現。効率良く、無駄のない配達システムなどを生み出し、入社時15億円だった売上はグループ全体で90億円にまで伸びた。厳しいランチ戦争を勝ち抜き、快進撃を続ける玉子屋の経営手法は高い注目を集め、数多くのメディアでも取り上げられている。
しかし、意外なことに「弁当屋なんて恥ずかしいと思っていて、継ぐつもりは一切なかった」と菅原は話す。そんな彼が二代目として玉子屋を成長させるに至った裏側には、一つのキーワードがある。それは「つなぐ」だ。現会長である父親の想いをつなぎ、もっと良い会社にすることを目指してアイデアをつなぎ、努力を重ねた結果が現在の玉子屋の姿だ。彼の人生を振り返れば、いわゆる「二代目」のイメージは崩れるだろう。楽をして、成功はない。誰かのやってきたことをそのまま継ぐのではなく、つなぐことで新しい成功を得た彼の姿から、あなたにも成功へのヒントつかんでほしい。


―玉子屋を継がれて、最初にどんなことをしたのですか。
社員全員と毎晩1対1で酒を酌み交わすことだね。玉子屋に常務として入社したとき、「俺より優秀な息子が来た。ついて行けば幸せになれるから、今後はこいつの言うことを聞きなさい」と親父が言ってくれたけど、ベテラン社員と親父の間には当時慣れ合いの関係があって。親父だから今までついてきたというのもあるし、昨日まで会社にいなかったやつの言うことをいきなり聞けと言われても反発だって感じる。だから、まずは一人ひとりと顔を突き合わせ、「このままの玉子屋ではいけない。お手並み拝見という気持ちで、嫌だと言わずについて来てほしい」と考えや想いを伝えたね。
―社員と気持ちをつなげることからはじめたのですね。
そう。それと、3年以内に実力も給料もベテラン社員を抜く右腕を育てるということを描いた。入社した1997年はどの企業も景気が良かったところから、本物が勝つ時代に突入しはじめたころ。楽をして稼げる時代は終わって、社員も本物にならないといけないことを示したかった。で、実際に僕の育てた右腕が3年で実力も給料も上になって、5年後には誰が誰の給料を見ても「あいつのほうがやっているから当然」という意識にみんなが変わっていって。ベテラン社員も、「主役じゃなくていい。若い人たちのフォローをしたいから、70歳、80歳になっても働き続けたい」と言ってくれるようになったんだよ。
―菅原さんが継いでから、玉子屋は1日約7万食を売り上げるほどさらに成長を遂げています。
27歳で玉子屋を継いだときの食数は1万5000食。他の追随を許さない数字を考えたとき、4、5年以内に4万食まで伸ばせば東京でNo.1になれるなと。まずはその数字を意識して伸ばしたね。それと、成長の中でもう一つ意識していたのが、売上と人の成長が同時じゃないといけないということ。人が伸びていないのに、売上だけが伸びると必ずクレームになる。売上だけではなく社員の成長も大切にして、前年比15%以上は伸びないように適切なバランスで成長してきたからこそ、今があるんだよ。
―人をとても大切に考えられていますが、まわりに対する謙虚さを学んだのは少年時代の野球だとお聞きしました。
自分が正しくて、自分以外は間違っている。そんな考えだった僕に挫折を経験させ、ひねくれた性格を直そうと親父がやらせたのが野球。正直好きじゃなかったし、今でもそんなに好きじゃない(笑)。でも、経営者として謙虚な心を忘れずにいられるのは、野球でのチームプレイの経験が大きいね。
それと、昔から負けん気が強くて、途中でやめるのは負け犬という考えだったんだけど、それを体現できたのも野球。はじめたころはへたくそで、さんざんバカにもされた。でも、やるからにはやり通そうと努力した結果が甲子園出場、六大学野球でのレギュラーにつながって。やり通すという僕の精神の原点だね。


―最初は玉子屋を継ぐつもりはまったくなかったそうですね。
家が弁当屋であることが恥ずかしかったからね。リトルリーグの練習に行けば、まわりにいるのは大企業のサラリーマンや中小企業の社長の子供ばかり。自分のエラーではないボールも、「取ってこいよ。お前の親父、弁当屋だからな」とバカにされて。当時は「人には言えない商売だ」と思っていたし、大学卒業後も継ぐことは一切考えずに銀行に就職を決めたね。
―そこから、「継がせてほしい」と気持ちが変化したのは?
銀行時代の経験の中で、良い会社の姿がパッと見えたことが一つかな。それまでは規模が大きくて、有名なことが良い会社だと思っていて。でも従業員が5人で、土日もしっかり休んでいるのに全員が年収1000万円稼いでいる会社がある。これが本当の良い会社じゃないかと思ったわけだ。そう、「三方よし」。健全経営で経営者が喜んで、従業員もこの会社で働けて良かったと喜べる。お客さんも他よりお金を払う価値があると商品やサービスを喜んで買ってくれる。
そんなときに初めて決算書を見せてもらい、玉子屋のことを改めて見てみた。すると、経常利益1、2%が平均と言われる業界で、玉子屋は5%も出していて経営は健全。行列に並ぶ必要もなく、400円ほどで昼食が食べられるからお客さんにも喜ばれる。これは素晴らしい会社だなと気づいて、親父の想いがこもった玉子屋を継いで、もっと良い会社にしていきたいと思うようになったんだよ。
―銀行を退職後、まずは足りないスキルを学ぶためと流通マーケティング会社に入社されています。
スキルもそうだけど、2年間毎日玉子屋の弁当を食べ続けて、お客さんの視点で玉子屋を見られたことが大きかったね。気づいたことがいっぱいあった。配送員の態度が悪いと弁当がまずく感じるから徹底的に配送員を鍛えよう、もっと女性が喜ぶメニューを加えようとか……。玉子屋に戻って、ああいうことがやりたい、こういうことがやりたいということがどんどん溜まってきた。
―それで、玉子屋に戻る決意が固まったというわけですね。
それと、世の中の状況だね。オフィスビルがぼんぼん建ちはじめた時期で、「これはチャンスだ。今こそ自分が戻って、お客さんを獲得するタイミングだ」と。あのタイミングで僕が戻ったから、現在の7万食の会社にまで伸ばせたんだと思うよ(笑)。
―会長のままではできなかったと?
もちろん僕が親父と同じ立場、タイミングで会社を立ち上げたとしても、1万5000食を売る弁当屋にはできなかった。それと同じ。お互いできないところを持っていて、能力を分かち合っているというのかな。親父にはゼロから1を作るという点では絶対にかなわない。パッと見て、ちょっとしゃべっただけでこの人について行こうと思わせるカリスマ性も僕にはない。でも、1を10や100に伸ばすことには僕のほうが長けている。そういうふうに親父と僕はお互いを尊敬しあっているんだよね。


―菅原さんにとっての師は、やはり会長であるお父様ですか?
やっぱり一番は親父だね。それと、もう一人は学生時代からの親友。当時、僕は自分が良いと思えるものにしか興味を示さないところがあった。でも、彼に「視野が狭い。どんどんいろいろな経験をしないと」って言われて。そこからだね、視野が広がったのは。「あいつは無理だ」と決めつけていた人と接してみたら、すごくいい人だったり。勝手に拒否反応を示していた自分が恥ずかしくなったよ。好き嫌いを自分で選んでいるだけで、それが正しいわけじゃないって気づいた。前は人と会うとすぐに欠点が見えていたんだけど、そのときから無意識に長所を探すようになった。そうすると人からも好かれるし、自分も楽しい。人の嫌なところばかり見ていたら、気持ちがすさむじゃない。人生を楽しむって、そういうことからはじまるのかもしれないよね。
男性だったら、いろんなタイプの女の子と仲良くしてみるとかさ(笑)。選り好みをしないで、広い視野を持つことが大切だと思うよ。
―今の若者には広い視野が足りないのかもしれませんね。偏見だけで、経験もないのに突っぱねてしまう。
そう。あと、インターネットで調べようと思ったら、答えが何でも書いてあるでしょ。でも、それって本当の答えじゃなかったりするわけ。見て、知るだけじゃだめ。自分で経験して、初めて答えが分かるものなんだよ。
―今の若者に対して、伝えたいことは何ですか。
「己を知ること」「自立すること」、そして「自己責任」。この3つだね。みなさん、実は自分のことをちゃんと知らないんじゃないの?と思う。僕もそうだったし。
自分は何のために生きているのかを知るための第一歩が己を知ること。仕事やプライベート、家族とか人生の中で接するさまざまなものに対して、己の存在を知っていくことが大切だよね。それで、自分がどういうタイプで、こう生きていけば幸せになれるんじゃないかなと感じたら、そこから行動でしょ。人に頼むんじゃなくて、自分で行動するのが自立するということ。そして、もし失敗したとしても親のせいや他人のせいにしちゃだめ。それはあなたが考えて、行動して、あなた自身が生きてきた結果。自分に責任があるんだよ。この3つがすごく大事だなと思っていて、自分でも常に意識して生きているし、忘れそうになると思い出すようにしているね。
それと、努力をしても結果が出るには必ずタイムラグがある。それを若者は知らなくちゃいけないし、もちろん我々大人もそう。だって、ゴルフの練習を急にたくさんしたって、結果は下手したら2年後とかに出てくる。それは仕事でも、何でもそうだよね。結果をすぐに求めたくなるけど、人によっては結果が出る時期が遅いかもしれない。それでも投げ出さずに、結果が出るまで努力を続けることが大切なんだよ。


―7歳になる息子さんに玉子屋の三代目になってほしいという想いはありますか。
さらさらないね。会社を継いでいくことより、気持ちをつないでいくことのほうが大事。祖父や父親がどういう人で、どんな想いで玉子屋を続けてきたかということを息子の心にしっかりと植えつけたい。サラリーマンになったとしても、経営者になったとしても、それだけは心に刻んでおいてほしいね。
20年後にまだ玉子屋が世の中から必要とされて、息子自身もやっていこうと思ったら継ぐこともあるかもしれない。でも、絶好調のときに会社を売って、従業員にはストックオプションを持たせて。で、「俺がおじいちゃんの気持ちをつなげて稼いだお金だから0円にしてもいい。お前のやりたいことでビジネスをやってみろよ」とぽんとお金を渡すのも面白いんじゃないのかなと思う。そういう選択肢があってもいいでしょう。これからの経営者は固定観念にとらわれず、あらゆる選択肢を考慮して経営に活かしていくべきだと思うよ。
―なるほど、面白い考え方ですね。
20年後の日本がどうなっているかなんて分からない。在宅勤務の人が増えて、お弁当のニーズだってなくなるかもしれない。玉子屋だけじゃなくて、中小企業の在り方として、会社を継ぐというよりも魂を継ぐことのほうが大事。ずっと同じまま栄え続けるなんてない。いいときもあれば、悪い時もある。でも、魂や気持ちをつなげていけば、いつかまたいいときが必ず来るからね。