関谷 健一朗インタビュー

J'aime le métier de cuisinier
私は料理人という職業が好きです

#16   関谷 健一朗 
ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション 料理長

VISIONARY STORY
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Prologue -料理人:関谷健一朗とは

世界で最も権威あるとされるフランスのレストラン・ホテルガイド「ミシュランガイド」や20点満点という細かい採点がある「ゴー・ミヨ」など、フランスではレストランを評価する歴史や権威があるガイドブックがいくつか存在する。その本場フランスに関谷健一朗は20代前半の頃に単身で渡り、名だたるレストランで経験を積んだ。ミシュランガイド史上最短で3ツ星を獲得し、ゴー・ミヨでは「世紀の料理人」と評された「ジョエル・ロブション氏」のレストランでは、わずか1年、弱冠26歳でスーシェフ(副料理長)というシェフ(料理長)に次ぐポジションに抜擢される。そして2010年からはロブション氏の絶大な信頼を受けシェフとして舞台を日本に移した。


インタビューを進めるにつれ彼が「好きだからこそ」「興味があるからこそ」自分の仕事に厳しく、常に目標と成長を求める姿が浮き彫りになる。そんな彼が語るフランス料理との出逢い、ジョエル・ロブション氏の教えとは?そして「人生が変わるほどのもの」と答えた「ミシュランの星の意味」とは?フランスで修行中、自身の働くレストランに星が増える瞬間に立会い、その喜びも、その質を保つ厳しさも知っている関谷は、ただシンプルに、そして純粋に自分の料理への興味と愛情に向き合っている。多くの試練や競争に挑み乗り越えた彼の言葉は、意外なほど謙虚で穏やかである。関谷の料理に対する純粋な姿勢は、私達が明日から踏み出す一歩に少なからず影響を与えるのではないだろうか。


「本当に好きなのかな?」これは彼の一皿にかける熱意ゆえに思わず口をついてでた、次の世代に向けた言葉である。インタビューの随所で聞かれる「好き」という言葉の深さを、ひと皿ずつを存分に味わっていただければと思う。そして最後に黒板に書いてくれた彼の野望は、まさしく関谷のすべてを表す言葉だろう。「J'aime le métier de cuisinier」私は料理人という職業が好きです。

interview / Junpei Ota, Jun Tatesawa, Kazuhisa Fujita
text / Natsumi Nakamura
photo / Kazuhisa Fujita

Chapter 1 - 何気なく出会ったソースの衝撃。

関谷 健一朗が語る「何気なく出会ったソースの衝撃。」

― まずは、なぜ料理の世界に進もうと思ったのか教えていただけますか?
小さい頃から台所に立つ母親を見ているのが嫌いじゃなかったんです。でもこの時はまだ料理の世界を意識しませんでした。ただ、高校に行って「これからどうしよう?」と思った時に大学に自分の興味がある専門分野が無かった。そこで浮かんだのが台所に立つ母親の姿でした。嫌いではない。でもそれでいてすごく好きでもない。ただ、何かやるとしたら興味があることの方が長続きするし勉強も自然にできるかな、とは思いました。まぁ自分的に「何となく」が多かったですね。
― 料理界への入り口は意外にもお母様なんですね。でもなぜフランス料理を選んだんですか?
専門学校では和洋中と習うんですが、この中で食べた事が無い味が多かったのがフランス料理だったのでまず興味を持ったんです。でも一番の理由は「ソース・アメリケーヌ」というエビの殻を使ったソースとの出逢いですね。今でも大好きなんですが、これを食べた時の衝撃は忘れがたい。フランス料理というのは材料すべてを使い切るのが前提というか理想なんですが、普段食べないエビの殻でこんな味になるんだと本当にビックリしました。

Chapter 2 - このままでいいのか?という強い気持ち。

関谷 健一朗が語る「このままでいいのか?という強い気持ち。」

― 専門学校卒業後はすぐにフランスに行かれたんですか?
19歳から2年半ほど料理人としてホテルに就職してました。別に何が出来るって訳じゃなかったんですが21歳くらいの時に先が見えてしまったというか、自分が本当にしたいものがこの先にあるのかな、と疑問を感じてしまったんです。いま振り返ると本当に生意気ですけど(笑)。改めて自分と向き合ってみると、やっぱり本格的なフランス料理を作りたかったんです。日本でも素晴らしいフランス料理を出すお店はたくさんありましたけど、興味があるお店やシェフを調べるとやっぱり現地を指し示すんです。それで思い切って10日ほど休みを貰って一人でフランスに行きました。
― 本場フランスに飛び込んだんですね。実際に訪れていかがでしたか?
やっぱり当時の自分の仕事とは違っていました。本当にすべてが衝撃的でしたね。食材からして種類の数が違いました。例えばキュウリひとつとってもフランス産のはすごく大きい。別のモノかと思うほど。でも口にすると味はキュウリだし…。目にするもの全てが新鮮でした。そういうのを一度見てしまうともう後戻りはもう出来ない。
― 休暇で訪れていたわけですから、そんな気持ちになったあとでも日本に戻らなくちゃいけませんよね?
帰国後1年くらいは同じ職場にいました。でも次第に「このままでいいのか?」という気持ちが強くなってフランスに行くと決心しました。決断してから必要事項をひとつずつ調べて、やっぱりフランス語は必須だったので辞職してアテネフランセという語学学校で三ヶ月間かけて猛勉強しましたね。

Chapter 3 - 好きだからこそ、2倍働ける。

関谷 健一朗が語る「好きだからこそ、2倍働ける。」

― 本格的に渡仏してからは言葉や文化の違いよりも、職場を見つけるほうが苦労されたそうですね。
言葉はある程度理解できる状態で行ったのでそこまで混乱はなかったんですが、それでもすぐには働けませんでした。直筆の手紙を何十件も送って連絡を待ちました。でもなかなか一件目が決まりませんでした。大した経歴もない、誰にも知られてない日本人では難しくて。一ヶ月くらい決まらない時は貯金を切り崩していたのですが、流石にドキドキしましたね。
― ようやく一件目が決まり、その後は次々とキャリアを重ねていきますがフランス人との競争は想像以上に大変だったと思います。
ある程度の店に行くと現地の人は日本人以上に働いているし勉強もしてる。フランス人と同等な仕事をしていたらその上には立てないんです。言い方は悪いですが2倍働いてようやく同等、そういう環境で負けたくないって気持ちはありましたね。苦労しなかった日はないです。それでも頑張れたのは好きだったからだと思います。
― 日本とフランスの料理人を比べてみて国民性の違いは感じましたか?
日本人はやっぱり器用で、仕事に対して一定ですね。フランス人は波があるんです。プライベートで何かあったら落ちるっていう(笑)。でも良い時はウチらじゃ敵わない素晴らしい仕事をする。これはほんとに敵わない。ただ日本人の波に影響されることのない、一定の仕事が質の高い状態でできる気質はやっぱり大きなストロングポイントだと思います。

Chapter 4 - Joël Robuchon 〜ジョエル・ロブション

関谷 健一朗が語る「Joël Robuchon 〜ジョエル・ロブション」

― ジョエル・ロブション氏のお店で働きたいと感じた魅力はなんだったのでしょうか?
オープンキッチンで働いたことが無かったので一度は経験したいなって(笑)。もちろん料理は美味しかったですし、ロブション氏への憧れもありました。あとは、僕が履歴書を送った頃にL'Atelierのスタイルが確立し始め一ツ星になったので、これからの将来性を感じていましたね。
― ロブション氏はどういう方ですか?
真っ先に浮かぶのは彼の厳しさ。そして完璧主義者です。野菜を2分茹でなさいと言われたら、1分59秒でも2分1秒でもダメというのが一番例えやすいですね。でもそれくらい完全なコピーを求めるというのはやはり凄いなと。料理そのものも完成度が非常に高い。現在お店で出しているのは1980年代にロブション氏が考えたものもあるのですが、今食べても古いとは感じない。足すものもの引くものもなく、本当に完成されている。「食」って時代で変化があって流行り廃りもあるんですが、そういうものに全く影響されません。
― 氏の教えで特に印象的だったことを教えて下さい。
「試作をする時に目を閉じて食べなさい。何が入ってるのか、その食材が分からなければ駄目だ。」要するに何かを加工し過ぎていたり、その食材の持ち味を消していたりしてはいけないということなんですね。彼のメニューには旬の食材とそれをどう料理しているかを書いてあるんです。それを見ると本当に食材を最高のモノにしているか、一皿がとことん考えられているのがありありとわかります。

Chapter 5 - 星を維持すること。

関谷 健一朗が語る「星を維持すること。」

― 多くのライバルがいる中でわずか1年でスーシェフになられました。
まずはタイミングがあったと思います。もちろん僕より長く働いてるスタッフもいましたが、当時は魚のセクションのトップを任されていて。良くも悪くも自分の仕事は完璧にやっていたと思います。まぁ…他のセクションを積極的に手伝っていたかと言われたらそうでもなかったので、今思うとダメなんですけど(笑)。でも任されていた事に関しては完璧を期していました。そういう所を見てくれてたのかな、と思いますね。ロブション氏に言われた通りに丁寧に、確実にやっていた。当たり前のことなんですが実はそれが一番難しいんです。
― それから、東京でお店を守る立場に立たれましたが、ミシュランの2ツ星というのは私達の想像以上のプレッシャーだと思われます。
「ミシュランの星」が全てだとは思いませんが、人生が変わるほどのモノであることも否定できません。もちろんお客さんの入りにも影響はありますが、それ以上に星があることでレストランのコンサルタントや本の出版など、生活や信用に大きな影響を与えます。フランスにいた頃はロブション氏の下で守られていたので、気が付けなかったこともあります。しかし今は責任ある立場ですし、僕一人のお店ではありません。スタッフやお店の事を考えた上で判断をしなくてはいけませんから。ロブション氏も言った星を獲得するより、維持する方が努力を必要とするという言葉の重さを実感します。だから、お店の星を守るのが僕の最低限の仕事だと思ってます。

Chapter 6 - L'équipeではなくLa brigade。

関谷 健一朗が語る「L'équipeではなくLa brigade。」

― 関谷さんにとってこれから大事にしたいことは何ですか?
育成が一番大事だと思いますね。もちろん僕の経験から伝えられるものは伝えたいですが、お店の理想の状態としては「僕がいなくてもいい」ってのが一番です。先頭切ってやらなくてもいい状態(笑)。フランスの調理場ではL'équipe(チーム)って言葉を使わないんですよね。La brigade、軍隊で使う部隊や旅団という意味で、もっと強固な関わり合いを指す言葉です。誰か一人が欠けたくらいじゃ全然変わらない、強いLa brigadeを作りたいです。L'équipeでは物足りないですね。
― 関谷さんが育てていく20代、30代といった次の世代の料理人にはどのような印象をお持ちですか?
本当にこの仕事が好きなのかな?って印象を受けることがあります。自分のやってきたことをやれとは言わないですけど…ただ、もっとこの職業を好きになってもらえればと思います。そうすれば興味があることを勉強したりプラスに出来ることも多いかな、と。
― 好きであればより深く知りたいはずですからね。どんなジャンルでも現地の文化に直接触れることは大切ですか?
チャンスがあるならもちろん行った方がいいと思います。僕が渡仏した時は1年が3年に感じるほどの密度がありました。今ってネットもあるし、情報がすごく早いので行かなくても知られることはたくさんあります。ただ、そういうので安心してしまうのは違うのかなって。フランスが絶対1番、東京が1番とは思いませんが、現地で学べることは本当に多いです。マイナスにはならないと思います。

Chapter 7 - 私は料理人という職業が好きです。

関谷 健一朗が語る「私は料理人という職業が好きです。」

― 自分のお店を持つ料理人の方もいらっしゃいますが、独立したいっていう野望はありますか?
料理人の最終目標は「独立」ってイメージがあるかと思います。もちろん、そういう選択肢もありますし興味もあります。ただ今すぐって言われたらまだまだ力不足です。本当に当たり前のことを日々続けていく、大好きな料理を継続していく、今はそれを頑張っていきたいですね。オープンキッチンって誰が食べているのか分かるんです。食べてる表情も見える。そういうことはすごく大事で、正直疲れている時でも満面の笑みで「美味しい」と言ってもらえたら元気になれるんですよ。
― 大好きな料理人という職業を続けていったその先にあるものはなんでしょうか?
自分の料理を作りたい。ロブション氏も言っていますが、自分で1~10まで考えて作る料理って人生の中で3、4品しか出来ない。いま現在出している料理は、今まで働いてきた経験の組み合わせだったりアレンジです。そういうことは出来ても、ロブション氏のように誰にも足し引きさせず、時代や流行り廃りで色褪せない料理はなかなか出来ない。大好きな料理人という職業を真面目に、そして楽しく続けていくことによって、そんな最高の一皿が出来たらいいですね。あと、何十年働けるかわからないですけど。
インタビューが終わると関谷は「私は料理人という職業が大好きです」という言葉を黒板に書いた。記事の冒頭でも触れているがこの言葉は彼自身を表すに最適だと思う。控えめではありながら、一途に料理を愛し続けるからこそ最高の一皿への道が見えてくる。「料理を愛し続けること=自分だけの最高の一皿」という方程式が彼の中にはあるのだ。
そしてこの言葉は、あの穏やかな彼が次の世代へ差し出したストレートな挑戦状にも思える。「あなたは自分の仕事が大好きですか?」と。

arrangement / osica MAGAZINE

【プロフィール】
name /関谷 健一朗
birth / 1979年
career / ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション 料理長
20代前半に渡仏。ミシュランガイド史上最多の星を獲得するジョエル・ロブション氏に認められ、26歳という若さで副料理長に抜擢。その後ロブション氏の絶大な信頼を受け、氏が「完璧な味とサービスを求め、最高の状態で辞めたい」として『ジョエル・ロブション』を閉店後、パリに先駆けて開店した六本木ヒルズの『L'ATELIER de Joël Robuchon』のシェフとして日本に凱旋。驚くほど謙虚で穏やかな関谷が、働くためのエネルギーである料理への愛、そしてその先に見据える野望を語る。
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