Prologue -コンドルズプロデューサー:勝山康晴とは
「ダンスカンパニー」と聞けば、多くの人が読んで字のごとく、ダンスを披露する団体を思い浮かべるだろう。しかし、『コンドルズ』は、一味も二味も違う。いや、我々の想像の域を遥かに超えてくる。
メンバーは男性のみで、全員が学ラン姿という異色の出で立ち。ダンスカンパニーだが、舞台はダンスだけではない。コント、生演奏、映像、人形劇とさまざまな要素を詰め込み、観る者を夢中にさせ、笑わせ、楽しませる。「面白いと思っていることを全部集めてくればいいんじゃないという発想からスタートしている」という言葉の通り、面白いことがたくさん詰まったおもちゃ箱のような作品を作り上げている。その実力は、あのニューヨークタイムズ紙を絶賛させたほどだ。
そんなコンドルズのプロデューサーである彼の人生もまた、おもちゃ箱のようだ。思わず笑ってしまう、しかし同時に真剣に耳を傾けてしまう数々のエピソード。そのエピソード一つひとつが子供を虜にするおもちゃのように魅力的に見えるのは、語られる言葉すべてが泥臭く、リアルであるからだ。「自分なんてしっかり持たなくてもいい。人生、流されるのもアリ」と世のセオリーとは逆のことを平然と言い放つ。世の中で正しいとされるレールの上を走ることが、本当によい生き方なのか――。好きなことのためにがむしゃらに走ってきた彼のかっこ悪く、ユニークな本音のアドバイス。それはどんなきれいごとで語られる方法論よりも、活きるヒントとして我々の心に響いてくるはずだ。
interview / Jun Tatesawa, Kazuhisa Fujita, Eri Katori, Emiko Iizuka
text / Mikiko Utsunomiya
photo / HARU, Kazuhisa Fujita
Chapter 1 - 人生観を変える、大きな船との出会い

- ― コンドルズ主宰の近藤さんとは、大学時代に出会ったそうですね。
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ロックバンドで身を立てるつもりで東京に出てきたけど、好きになった子がダンス部に入って、近づくためには僕も入部するしかないなと(笑)。そこでたまたま出会ったのが、(近藤)良平さん。
同じボロアパートに住んでいて、酒の一滴も飲まずに毎日朝まで映画や音楽、演劇の話をして。
面白くて、尊敬できる先輩に出会いたいという想いを持って静岡から東京に出てきて、やっと出会えたんです。この人のやることに付き合ってみたいなと。良平さんという大きな船に出会って、「こんなふうに俺の人生は決まっていくんだ」とある意味流されて船に乗って、今コンドルズをやっていますからね。
- ― 近藤さんから受けた影響は大きいですか?
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大きい、大きい。一番は「自由さ」かな。世の中の既成概念とは全く違う意見を言う人で、新鮮でした。自由に考えて、やることが成功の秘訣だと思うようになりましたね。
コンドルズの舞台の作り方も良平さんの影響。初めて良平さんのダンス公演を見たとき15分の持ち時間の内、14分はアコースティックギターを弾いて歌って、最後の1分しか踊らなかったんです(笑)。「あれって、ダンスですか?」って聞いたら、「ダンスの価値観って決まってないじゃん。お客さんに楽しんでもらうことを自由にやることが大事じゃないの?」と言われて。すごいことを言っているなと思いましたよ。それが、「今見せたいもの、面白いと思うものを全部集めてくればいい」というコンドルズの原点になっていますね。
Chapter 2 - 好きなものを見てもらうという生き方

- ― 大学卒業後すぐにコンドルズを立ち上げていますが、就職は考えなかったのですか?
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そんなに強気じゃなくて、就職活動はしましたよ。でも、ある面接で「君、本気じゃないでしょ。本当にこの仕事やりたいと思ってないでしょ?」と聞かれて、「はい!」って答えちゃって(笑)。そのときに、「あぁ、やっぱりやりたくないんだ」と改めて気づかされました。
世の中には、好きでもないものを好きだと思って売らなくちゃいけない仕事もあります。それは必要な仕事だし、立派な仕事。でも、僕は好きなものを好きだから買ってほしいという仕事しかできないし、そういう生き方がしたかったんです。自分が自信を持って好きだと言えるものは、音楽や舞台。たとえ貧乏でも、そっちの道しかないなと思いました。
- ― そこからは、迷いなく進まれたのですか?
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いやいや、そんなことはないですよ(笑)。迷っていたし、やめようと思ったこともあります。いよいよ逃げ場がなくなったときに、オーディションを受けたんですよね。これで落ちたら、やめようと思って。コンドルズを立ち上げて3年目のときかな。そうしたら運よく受かって、人もたくさん観に来てくれて、メディアでも取り上げられるようになって。「これはやり続けるしかない」と腹をくくったというのが正しいかな。
でも、最初から「ヘンテコな舞台を作っている」という自信はありました。だから、立ち上げて3年で成功したなら早いとも言われますけど、僕にしたらみんなに認めてもらうのに3年かかったなという感じですね。
Chapter 3 - ルパンファミリーのようなダンスカンパニー

- ― 16名いるメンバーとはどのような関係なのですか?
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舞台のとき以外は、一切会わないというのがルール。だって、ずっと一緒にいてもいいことなんてないですよ。話はつまらなくなるし、悪口を言い出すし。理想はルパンファミリー。普段はそれぞれに好きなことをやっているけど、ルパンが「やるぞ!」と声をかけたら、みんなが集まってきて一つになる。で、仕事が終わったら、また散らばっていく。コンドルズもみんな別の仕事を持っていますが、13年いて、普段の仕事を知らない奴もいます(笑)。でも、そのほうが面白いですよね。長い付き合いだけどいつも新鮮な気持ちで会えますし、新しい発見があります。
- ― 新しいメンバーを採用するときには、何がポイントになるのでしょう。
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一緒に飲んでいて、楽しい奴じゃなきゃ採用できないですね。ダンスの上手い、下手は関係ない。「入りたい」と言ってくれる人がいても、一般的なオーディションはやりません。採用した側、された側で上下関係ができちゃうのが嫌。ワークショップとかで知り合って、自然と一緒にいるようになって。飲んでいるときに、「お前、来ない?」って何となく採用になるのが理想。
コンドルズはトップダウンのダンス集団じゃない。「良平さん、これ面白くないですよ」って、主宰に対して普通に言えるんです。主宰の意見が却下されるダンス集団なんて、あんまりありませんよ。これは誰にも負けないという得意分野がそれぞれあって、シーンによってリーダーが変わるのがコンドルズ流。
Chapter 4 - 公演も宣伝も経理も、すべてが作品

- ― 勝山さんは経営者としてコンドルズの運営もされていますが、「アーティスト」と「経営者」の違いはありますか?
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経営者として、僕は舞台のときだけではなく、常にコンドルズのことを考えていないといけない。そこが決定的な違いですかね。アーティストなのか、経営者なのか、ジレンマを感じたこともありました。でも、「作品を作る係」と「プロデュースする係」を分ける必要はないのかなとふと思って。例えば、僕とデザイナーで考えて、デザインしたチラシを見て、「コンドルズが舞台をやる」と知ってくれて、5000人のお客さんが集まってくれる。それはもうアーティスト活動というか、作品を作る活動がそこから始まっているなって。それからは、気が楽になりましたね。アーティストと経営者の線引きはなくて、僕にとってはチラシを作るところから、公演後の会計処理がすべて終わるまでが作品。公演はあくまでその一部という考え方なんですよね。
- ― 勝山さんにとって、作品を作ることは「仕事」なのでしょうか。
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仕事の感覚には近いけど、最終的には仕事ではないのかな。仕事だけど、じゃあ金がなくなったら別の仕事を探してやめるのかと言われたら、やり続けると思います。作品を作ったり、舞台に立ったりすることは僕にとっては歯を磨くことと一緒。日常生活の一部で当たり前のこと。だから、やめられないというか……、やめるわけにはいかない。好きなことを仕事にしているというのもあるけど、お金を稼ぐことだけが目的じゃないから簡単にはやめられないですよね。
Chapter 5 - 公私混同で、突っ走る時期

- ― コンドルズが売れるようになってからも、風呂なしのアパートに住んでいたとお聞きしました。
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そうそう、銭湯通いでコインランドリーで洗濯して。2005年くらいまで、ずっと自宅兼事務所だったんです。朝ベッドから起きて、2歩で仕事場。仕事が終わるとそのまま寝て、1日が終了。まさに公私混同ですよね。でも、生活はめちゃくちゃだけど、やみくもに突っ走っている感じが気持ちよかったんです。人って、仕事とプライベートをきっちり分けたがるじゃないですか。「オン・オフの切り替えを大切にしろ」とかよく言われるし。確かに健康的な生き方だけど、必ずしもそんな生き方ばかりじゃなくてもいいんじゃねえ?って僕は思います。家に帰っても、ずっと仕事という時期があってもいい。あるいは逆に、営業に行っているふりをして漫画喫茶に行って、会社でもずっと遊んでいるとかね(笑)。何かに突っ走る時期は必要ですよ。
- ― 世の中の一般論とは、逆の考え方ですね。
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世の中で言われていることが、何でも正しいわけではありません。ちょっと話が変わりますが、ダンスの話で言えば、ヒップホップってカウンターカルチャーで反骨精神から生まれた踊り。それなのに今、本来あるべき場所のクラブでは躍ることは禁止されて、一方で義務教育に取り入れられています。あまりにも不思議な感じがしますよね。ラップだって、本当は反骨的なもの。でも、日本に入ってくると妙にいいことを歌う感じになっています。良いとか悪いとかではないけれど、きちんとルーツ、本来の意味を教えることが大切だと思います。
Chapter 6 - 「何もないこと」を認める

- ― 「やりたいことが見つからない」という人が増えていますが、どのように思われますか?
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僕は「好きなものが見つからなくても、できたらいいなというものは持っているでしょ?」ってよく言うんですよね。500メートル泳げるようになったらいいなとか、オムレツを上手く作れるようになったらいいなとか。できたらいいなということは、誰でも持っています。そこから始めればいいんじゃないですか?そうすれば、いずれやりたいことに辿り着きますよ。中学生くらいで心をわしづかみにされて、やりたいことが見つかる人もいますけど、20歳過ぎてから見つけるって大変ですから。
あと、もっといろんなものを見たほうがいいですよね。僕は貧乏でもバイトを必死でして1万5000円貯めて、舞台を見に行っていました。好きなものに投資するって、お金の一番楽しい使い方ですよ。
- ― なかなか一歩が踏み出せないという若者も多いですよね。
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国内で食いっぱぐれたら、海外に行けばいい。流されるのもアリ。「流されちゃいけない」とよく言われますけど、自分をしっかり持たないほうがいい目にあうこともあります。「この人と一緒にいようかな」って何となく着いて行ったら、いろんな人に出会えるとかね。僕も良平さんに流されて着いて行って、今の自分があります。自分、自分、自分とばかり言っていると殻ができちゃって、逆に新しい出会いがなくなりますよ。自分がはっきりしないというのをむしろ強みにしたらいい。開き直ってさ。「何もないでいい」というところからスタートすると、気がすごく楽になりますよ。
Chapter 7 - お世話になった世界への恩返し

- ― 勝山さんは、今後どのような活動をされていくのでしょうか?
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ダンスや舞台という業界にお世話になって、僕はここまで来ることができました。だから、今度は自分が育った業界の若者たちに何かを返していきたい。今、ちょっと考えているのがアーティスト専門の託児所を作ること。出産や育児ってやっぱり大変なことで、僕の知り合いのダンサーたちも出産を機にやめてしまう人が多い。子供を預けて、ダンスを続けようと思っても、託児所の料金はバカ高い。ダンスが好きで続けたいという気持ちがあるのに残念なことだし、おかしいですよね。でも、例えば月2万円で預けられる託児所が作れたら、みんなずっとアート活動を続けられるんじゃないかなと思います。今後1、2年で何とか形にしたいと模索しているところなんです。
あと、個人的にはアニメの仕事をやりたいですよね。子供のころから、すごくアニメが好きで。ロックやバンド、舞台も好きですけど、それは仕事にできました。でも、アニメだけはファンのまま。それが人生最大の心残り。今でも時々、代々木アニメーション学院のパンフレットを見ているくらいだから(笑)。一番小さな役でいいから声優デビューしたいし、主題歌を歌って、「ガンダームっっっ!」とか叫びたい。でも、好きだ、好きだと言っているといつか出会えるんですよ。アニメ関係の知り合いも増えましたしね。想い続けていれば、たとえ遠回りしたとしても叶うんじゃないかなって思います。今、やってるロックバンド「ストライク」もメジャーを契約切られたけれど、死ぬまでやり続ける計画。すごく尊敬しているロックンローラーギタリスト、現ザ・クロマニヨンズの真島昌利さんの名言『難しいモノはわかりやすく、わかりやすいモノはおもしろく、おもしろいモノは深く』のように、自分が面白いと思うことを深く追求していくことが、僕の人生のコンセプトですね。
arrangement / osica MAGAZINE