元榮 太一郎 (もとえ太一郎)インタビュー

人々が安心して暮らせる社会を創る

#20   元榮 太一郎 (もとえ太一郎) 
弁護士ドットコム株式会社代表取締役社長兼CEO
弁護士法人法律事務所オーセンス代表弁護士

VISIONARY STORY
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Prologue -「不安定」へのチャレンジ

「気軽には相談できない」というイメージがあり、一般市民にとって遠い存在。そんな弁護士をコンビニのようにいつでも誰でも利用できる社会に一歩近づけたのが、元榮(もとえ)が2005年に立ち上げた「弁護士ドットコム株式会社」だ。インターネット上で弁護士検索や見積もり比較、無料法律相談ができる画期的なサービスを展開し、今では累計相談件数は34万件を突破している。

しかし、初めから順風満帆のスタートとはいかなかった。画期的なサービスであるがゆえに、伝統的な世界には波紋が広がった。報酬目的の弁護士仲介を禁ずる弁護士法第72条に反するのではないかという誤解、「一見さんお断り」という紹介案件しか受けないという昔ながらの慣習......。軌道に乗るまでには、4年の歳月がかかったという。

当時、アンダーソン・毛利法律事務所(現アンダーソン・毛利・友常法律事務所)という大手事務所に在籍していた元榮。現状を維持すれば保証される、十分なほどに安定した生活――。しかし、彼はあえて「安定」から一歩を踏み出し、「不安定」な世界へと飛び込む。我々から見れば不可解とも思える行動の答えは、「安定は衰退の始まり」と話す彼の考え方や生き方にある。

今、先の見えない不安から安定志向の若者が増えていると言われている。もちろん、「安定」も一つの選択肢だ。しかし、「不安定」にチャレンジした者にしか見ることができない景色がある。その景色の素晴らしさを彼のインタビューを通して感じてほしい。

interview / Kazuhisa Fujita, Masashi Yamada
text / Mikiko Utsunomiya
photo / Kazuhisa Fujita

Chapter 1 - 「うらやましい」に素直に反応する

元榮 太一郎 (もとえ太一郎)が語る「「うらやましい」に素直に反応する」

―新しいビジネスに挑戦したいと考えるようになったきっかけを教えてください。
弁護士になって2年目くらいのときかな。30歳を目前にして、「弁護士になれたからと、これから先の何十年という人生をこのまま決めていいのだろうか?」と漠然と考えるようになって。 そんなときに、あるベンチャー企業のM&A案件に携わったんです。それまで、自分のまわりには世界的企業や東証一部上場企業に勤めている人ばかり。初めてベンチャー企業の人と接して、勢いがあり、世の中にインパクトを与える仕事に生きがいを感じている姿にビビっと来ました。「新しい価値を想像するってかっこいいな、うらやましいな」と憧れを感じたんです。
―誰かに憧れるというのは、多くの人が経験しているはずですよね。
大切なのは、その感情をどう活かすかだと思います。「うらやましいな」「ああなりたいな」と思ったときに二つのとらえ方があるんです。一つは、その感情にふたをしてしまう。「多くを望んじゃいけない」「自分はこのままでも幸せだ」と考えて、動かない。もう一つは、素直に反応する。私は後者のタイプというか、自分の気持ちに嘘をついてはいけないと思っていて。「すごいな。ああいう人たちみたいになりたいな」という気持ちに素直に答えて、自分もやるべきだと思ったんです。人生は一度きりだし、可能性は無限大。私も彼らのように世の中にインパクトを与えてやろう、足跡を残してやろうと決めました。

Chapter 2 - 今しかない、ちんたらしている時間はない。

元榮 太一郎 (もとえ太一郎)が語る「今しかない、ちんたらしている時間はない。」

―弁護士ドットコムのアイデアはどのようにして思いついたのでしょうか?
「引っ越し比較ドットコム」という引っ越し業者の見積もり比較サイトを見て、「商品の価格を比較するサイトは知っていたけど、サービスの比較もできるんだな」と思ったんです。そのときに、「あれ?弁護士もサービスだよな」と考えたのが始まりでした。
弁護士を目指すきっかけにもなった経験なのですが、私自身、交通事故を起こしたときに誰にも相談できずに1、2ヶ月悶々とした時期があって。でも、そのときにインターネットで気軽に弁護士に相談できたり、弁護士を比較検討できたりするサービスがあればもっと早く穏やかな生活に戻れたんじゃないかなと思ったんです。絶対に今も自分と同じように悩んでいる人がいるはず。だから、これは絶対に価値があると確信しました。
―アイデアを思いついた翌月には退職を申し出たそうですね。
実はMBA留学をする予定で、準備も進めていました。でも、アイデアを思いついた2004年10月はすでに司法改革が始まっていて、弁護士の世界が変わろうとしていた時期。2007年にはロースクール1期生が参入してきて、年間1500人ほどだった司法試験合格者が3000人に増えると言われていたんです。2年も留学して戻ってきたら、次代はすでに始まってしまっている。「ちんたらしている時間はない、今すぐやらないといけない」と思い、2005年1月に独立しました。

Chapter 3 - 体験から学び、体験に突き動かされる。

元榮 太一郎 (もとえ太一郎)が語る「体験から学び、体験に突き動かされる。」

―元榮さんはアイデアを思いついて、3ヶ月後には独立されています。なかなか動き出せない人のほうが多いと思うのですが、どんなことから始めれば良いのでしょう?
何をやるかを決めたら、まずはそれを高らかに宣言する。そうすると、自分の一挙手一投足、24時間が目標の達成に向けて思案するようになるんです。意識的な面はもちろん、無意識的な面も含めてね。そして、自分だけではなく周りも動き出す。宣言に共鳴してくれた人が同じような考え方を持っている人、情報を持っている人などを紹介してくれるんです。宣言することで、いろんなことが動き出しますよ。
―こうした元榮さんの考え方、価値観に影響を与えた方はいらっしゃいますか?
「すべての人に影響を受けている」という模範解答ではだめですか(笑)。私はお手本にしている人というのがいないんです。人は一人ひとりに良い部分があって、それぞれから良いエッセンスをもらっていきたいんです。
影響を与えてくれたのは、人より体験のほうが大きいかもしれませんね。例えば、独立直後に呼ばれた元首相の自宅で開かれた花見会。政治家や実業家や有名企業の御曹司など、トップオブトップの人たちを目の当たりにして、若くして弁護士資格を持っているからとちやほやされてきた自分が小粒に感じたんです。「自分はまだちっぽけだ。弁護士は素晴らしい職業だけど、弁護士のまま終わってたまるか。プラスアルファの価値を創りたい。やってやるぞ」と思いました。そういう一つひとつの体験ですね。私を突き動かしているのは。

Chapter 4 - 先が見えた、ガリレオ・ガリレイの感覚。

元榮 太一郎 (もとえ太一郎)が語る「先が見えた、ガリレオ・ガリレイの感覚。」

―弁護士ドットコムが軌道に乗るまで4年かかったそうですが、途中であきらめたくなったことはありますか?
ありません。一度行けると思ったら、必ず行けると思っていました。司法試験を目指したとき以来の久しぶりに血肉が踊る感覚。「これをやったら、めちゃくちゃすごい」と熱くなれるときは、必ずうまくいくことがこれまでの人生経験からわかっていたので。「できると思えばできる」というマインドセットですね。大学受験も司法試験も、できるという思い込みから結果を引き寄せてきましたから。
―苦労を乗り切るモチベーションは何だったのでしょう?
ガリレオ・ガリレイの感覚ですね。見えないものが見えてしまったんです。新司法試験が始まって、2000年には1万7000人だった弁護士が、2013年には3万4000人に倍増する――。そのグラフを見たときに絶対に時代は変わる、絶対にインターネットで弁護士と困っている人がつながる時代が来ると確信がありました。
当時の弁護士業界はまだ一見さんお断りで、紹介がないと依頼を受け付けないような古き良き牧歌的な世界。だから、みなさん違和感を持ったのでしょう。自分の目の前に現実に広がってからじゃないと信じられない人、考えられない人が多い。でも、想像力を働かせたら見えてきたんですよ。
その確信と、大前研一のアタッカーズ・ビジネススクールという起業塾で大前研一さん本人から言われた「これから必要とされるサービスだから頑張って」という言葉が支えでしたね。

Chapter 5 - 挫折ではない。それはチャレンジ。

元榮 太一郎 (もとえ太一郎)が語る「挫折ではない。それはチャレンジ。」

―いろいろな苦労や挫折を乗り越えて、今の弁護士ドットコムがあるのですね。
実は……、あまり挫折と思わないところがあるんです。例えば、アンダーソン・毛利法律事務所で働いていたときは、泉ガーデンの個室でブラインドからパチンと外を見て、東京タワーの夜景を眺めながら「今日もいい一日だな」なんてやっていたわけですよ。それが、辞めて一年後には家すらない生活。それを挫折と感じる人もいるでしょう。でも、私は「おいしい!」としか思わなかったんです。
実際に今、こうやって話ができている時点でそういう経験をして良かったと思います。それを8年前、貯金も底をついているときに一人で想像していました(笑)。何もなく順風満帆でしたというより、紆余曲折あったほうが面白いと思ってもらえる。いつか復調したときに話してやるんだと自分を励ましていました。
―とてもポジティブな考え方ですね。
挫折ではなく、チャレンジだと思うんです。そういう意味では、いろいろなチャレンジをしてきました。思っているように進まないからと、ただ暗くなっていても仕方ないじゃないですか。自分自身のマインドが、自分自身の最高の応援団でないと盛り上がっていきませんよ。
朝、「おはようございます」と元気に挨拶したほうがよいのは、それで気分が盛り上がってパフォーマンスも上がるから。骨伝導で自分の声が脳に伝わるんです。自分自身が前向きじゃないと、人生前向きになるはずがないと思っています。

Chapter 6 - マイノリティでも貫き通すこと。

元榮 太一郎 (もとえ太一郎)が語る「マイノリティでも貫き通すこと。」

―アイデアを思いついても、行動に移す勇気がない若者が多いと言われています。何かアドバイスをいただけますか?
新しいアイデアという大きな山を見つけて、そこに登るためには一度今いる山を降りなくてはいけません。山同士をつなぐロープウェイはありませんから。でも、山を降りることを楽しめない人が多い。山を降りて成功した経験がないと、怖いんですよね。優等生タイプで来た人に多いと思うのですが、「常に評価されたい」という考えは切り捨てたほうがいい。絶対に自分が行けると思っているのなら、まわりに何と言われようと「分かっていない人がまたいるな。あとでびっくりするんだろうな」って思えばいいんですよ。
例えば、まったく花形ではない部署に突然移動を希望してみるとか。人と違う動きをしてみて、そこで結果を出す。まわりから「え、どうしたの?」と言われる小さなチャレンジを続けて成功体験を積んでいけば、大きなチャレンジにつなげていけるんじゃないかと思います。
私は、絶対に人とは違う動きをするということを意識しているんです。みんなと同じ考えだと、「これはone of themだな」と。どうしたら自分で違う道を切り拓いていけるかということのほうが興味深いし、面白い。みんなが就職活動を始めるころから司法試験を目指したり、アンダーソン・毛利法律事務所を辞めたり……。群れから離れて、一人で道なき道を行くという生き方をしてきたからこそできた経験、見られた景色がたくさんありますよ。

Chapter 7 - 安定は衰退の始まり。

元榮 太一郎 (もとえ太一郎)が語る「安定は衰退の始まり。」

―弁護士ドットコムの目指す道を教えてください。
国民生活の中で、弁護士サービスの位置づけを変えていきたいですね。予防医療があるように、予防法務が機能する世界にしたいと思っています。進化している国では、弁護士はライフアドバイザーのような存在なんです。というのも、紛争になれば時間や費用、大切な人間関係さえも失ってしまうことがある。そうなった時点で、勝者なんていないんです。紛争になったときに最適な弁護士を探すのではなく、紛争になる前に相談できる――。紛争をまだ予防できるところで弁護士が手を差し伸べて、「こうすればいいですよ。普段からこういう点に気をつけているといいですよ」というアドバイスができるようになるといいですよね。そういう社会へと進んでいく後押しをしていきたいと思っています。
―社会にインパクトを与えていくための挑戦はまだ続いていくのですね。
もちろんです。まずは一人でも多くの方に「弁護士ドットコムを知っていただくこと」を大切にしたいと思っていますが、「弁護士ドットコムの元榮」にとどまるつもりもありません。現状維持は衰退の始まり、安定は衰退の始まりだと思うんです。安定したいと新しい挑戦をしない人が多いですが、本当に安定的に生きていきたいと思ったら不安定に乗り出していかないといけないと思っています。「最近ルーチン化しているな、余裕に過ごせているな」と思ったら、危機を感じないと。それは下りのエスカレーターに乗っていて、上ろうとしていない状態ですからね。もっと挑戦していかないと。さらにどんどんですよ。

arrangement / osica MAGAZINE

【プロフィール】
name /元榮 太一郎 (もとえ太一郎)
birth / 1975年
career / 弁護士ドットコム株式会社代表取締役社長兼CEO
弁護士法人法律事務所オーセンス代表弁護士
1998年、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。弁護士資格を有する実業家。2001年、アンダーソン・毛利法律事務所へ入所。M&A、金融など最先端の企業法務に携わるが、「弁護士をもっと身近な存在にしたい」と2005年に独立、弁護士法人法律事務所オーセンスを設立。同年、オーセンスグループ株式会社(現弁護士ドットコム株式会社)を設立し、法律相談ポータルサイト「弁護士ドットコム」の運営を開始した。
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