Prologue -自分にとってアニメは手段
「アニメは社会とは別に存在していると思っていた」と株式会社ガイナックス代表取締役社長、山賀博之氏は語った。しかし、1つのアニメの誕生が本人も驚く程のスピードで世間のイメージを壊し、社会とアニメを結びつけていった。映画監督、アニメーターである庵野秀明氏と共につくった「新世紀エヴァンゲリオン」は、今となっては説明が不要なほど社会現象を巻き起こし、日本のみならず世界に広がっていったアニメである。
アニメは、今や日本のポップカルチャーや新しい輸出産業としても数えられる。このキッカケの1つを作ったのがエヴァンゲリオンを世に生み出した会社「ガイナックス」だ。世間では「エヴァンゲリオン」「ガイナックス」そして、「エヴァを作った男、庵野秀明監督」が注目された。しかしその裏で、学生時代から庵野氏の才能に注目し、起業し社長として会社を支えたのが山賀博之氏である。山賀氏は社長業をしながらも脚本、監督までこなすが、本人は映画、小説、テレビ、アニメ、漫画にも一切興味がなく、「自分にとってアニメは手段」とまで語る。では、なぜアニメ業界に入り「ガイナックス」「エヴァンゲリオン」が生まれたのか。山賀氏のヒストリー、そして新しい野望に迫る。
interview / Junpei Ota, Jun Tatesawa, Natsumi Nakamura
text / Junpei Ota
photo / Noriyuki Nakajima
Chapter 1 - 1本の映画を10回観る

- ― 映画、アニメなどに興味がなかったとお伺いしましたが、では何故エンターテインメントの世界に進もうと思ったんですか?
- 父親の話になってしまうんですが、自分の父は農家の10人兄弟の末っ子で、家族で唯一高校に進学をさせてもらい、農業を学びました。そこから新潟で一番大きな銀行に入ったんですが、その銀行には東京の大学出身者が多く、農業高校出身なんて1人もいない。それで強い学歴コンプレックスになってしまって、自分には「東京の大学に入って新潟に帰ってきて銀行に勤めろ」ってサラリーマンとしてのレールが引かれていたんです。その反発心で定時出社しない、ネクタイ締めない、上司がいない職業を小学生くらいから考えていました。で、ちょうどその頃、○○プランナーとかカタカナ表記の職業が聞こえ初めていて、その中の何かになれば給料もちゃんと貰える職業につけると思ったんです。ただ具体的に何をしていいか分からない。何しろ趣味がなく、映画、小説、音楽、漫画の何にも興味がなかったんですから。
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- 高2の冬、友達に誘われて「カプリコン・1」を観に行ったんです。それが面白くて、初めて映画雑誌を読んだんです。そしたら、淀川長治さんのコラムがあって何となく読んでみたら、「最近、映画監督ってどうやったらなれるんですか?と聞かれるけど、そんなものあるわけない。強いて言うなら、1本の映画を10回観なさい。」というような事が書いてあったんです。この「10回観る」というフレーズが面白いなと思って、近所の映画館に観に行ったんです。「がんばれ!ベアーズ特訓中」。今思うともっとカッコがつく映画にすれば良かったと思うんですけどね(笑)。2回目位までは興味をもって観れるんですが、3回目には飽きてしまうんです。でも10回観るのが目的なんで観続けていると、6回目くらいからセリフや曲のタイミングなど映画の仕掛けを観れるようになって、10回観たときには「この仕事できる」と思いました。まぁ、よく分からないけど、曲やセリフのタイミングを決める仕事はできるって思ったんです。でも、何を具体的にしていいか分からないので、とりあえず新潟中の映画館回って「10回観る」を続けていました。高2の後半から高校卒業まで700本くらい観たと思います。でも、やっぱり映画に興味が持てなくて内容はほとんど覚えていません。「ジョーズ」は12回も観たのですが、12回目で初めて驚くシーンがあったほどです(笑)。でも、流し観をしているわけではなくて、職業の為パーツ1つ1つを逃さないように必死に観ました。
Chapter 2 - 庵野秀明の才能

- ―その後、大阪芸大に入学して庵野秀明氏と同じ下宿先で出会われたんですよね。やはり、そこで仲良くなって一緒に作品作りをしていくことになったのですか?
- 庵野とは別に仲が良かったから何かしようとしたわけじゃありません。大学でやる気のある奴は、それぞれ将来を考えて才能のある奴を捕まえる。自分も大学にはやる気があって才能がありそうな奴を捕まえに行ったのが最大の目的なんで。その中でも庵野の才能は飛びぬけて凄かった。庵野は当時、パラパラ漫画を黙々と作っていたのですが、おそらく世界一といっていいほどのものを作っていた。オタクの趣味が昂じてプロになったというのは嘘だと思うんです。オタクは消費者、作り手とは違う。庵野の場合はもちろん趣味もあったけど作り手もする特殊な位置にいました。
- ―その後、大阪で開かれた日本SF大会(通称DAICON3)で初めてアニメーション制作の依頼を受けたそうですが、山賀さんはどの様な事をされたんですか?
- 今でこそ、庵野はメディアにも出て話をするのですが当時はあまり喋らなかったので、自分がDAICONのプロデューサー(現ガイナックス取締武田氏)と庵野の間に入ってマネージャー的なことをしていました。自分にはギターが上手い、絵が上手いというような分かりやすい能力は持ってなかった。今は実績や肩書きで周りが勝手に想像してくれるけど、今でも自分の仕事、才能は言葉では表現しづらいですね。
Chapter 3 - 8億円でも足りない

- ―その後、24歳で東京に出てきてガイナックスを立ち上げられ「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を作られますが、勝算というものはあったんですか?
- そんなものはないです。1984年当時アニメは差別を受ける側で、今みたいに経済的にも社会的にもアニメに夢や成功というイメージはなかったです。その当時の成功者はアニメではないけれど漫画家の松本零士さんくらいしか浮かばない。それくらい職業としてアニメに成功者はいませんでした。
- ―そういう状況の中で8億円もの出資を受けていますがプレッシャーは大変なものでしたか?
- プレッシャーは無かったですね。この仕事は予算がいくらあっても足りない。別に大きな額とは思っていませんでした。むしろ足りない。結局最後に4千万円くらい足りなくて、その補填に仕事を回してもらいました。
- ―高校生の時に「出来る」と思ったイメージと実際に作ってみた時に感じたギャップや苦労はありましたか?
- イメージ通りでしたね。寝れないという苦労は少しはありましたが、それ以上に楽しかったですね。今でもそうなんですが、仲間で共同作業をしていくのが楽しいんですよ。夜中にみんなでファミレスに行くようなどうでも良い事が楽しい。年がら年中一緒につるんでる、それが暴走族ではなくて一応社会的、建設的なものをしている。この免罪符があるだけで暴走族と同じことをしている。作品づくりも仲間と作っていく上で自分の作品のイメージが変化していき作品が出来上がる。これが楽しい。高校の時に山登りを部活でしていたのですが、その楽しさとも同じ感じ。自分はずっと食料部長をしていて、メニューや予算、分担を登山前に計画書にまとめるんです。いかに効率の良いプランを組み立てるか。結局今の仕事とそんな変わらない。不得意なことを全部切って向いている事を仕事にしているってことですかね。
Chapter 4 - エヴァンゲリオンという現象

- ―エヴァンゲリオンの前と後ではどの様な変化が山賀さんや社会の中にありましたか?
- アニメは社会とは別に存在してると思っていました。だから当時電車の中吊りに初号機の絵を見つけた時は腰を抜かすほど驚きました。今でこそ、電車の中でアニメの広告があるのは不思議ではないですけど、電車の中吊りという社会の中心にエヴァがあるという景色、経験はとても面白かったです。エヴァより前は自分達は社会とは別の所に生きていると固く信じていた。でも、意外と社会との距離はなかった。売れると思ってはいたけど、社会現象と言われるまで当たるとは思わなかったですね。
- ―今までと違った要因は何でしょうか?
- アニメって、その当時まだカッコ悪い、モテない奴が見るというイメージが強かったんですけど、世間でカッコイイと言われるような人達がテレビでエヴァの名前をちょこちょこ出すようになったんですよ。「エヴァってしってる?」って。カッコイイ人達もアニメ見て大丈夫なんだと思いましたね。この免罪符はあったと思います。
- ―視聴者の知識を刺激する内容だったり、文字の配列だったりカッコイイ要素がありましたよね。
- いくらカッコ良くても、このカッコ良さはあくまでオタクの人が思うカッコ良さで、ファッションとかの表のカッコ良さとは別物だと思っていました。それがあっという間にくっついて、今となっては何故それが分離していたのか誰も記憶していない。不思議な経験でした。やはり庵野のセンスが良かったんだと思います。
Chapter 5 - 5年後をみすえて本物をつくる

- ―売れる作品を作るにはどうすれば良いと思いますか?
- 好きという感情がないので気に入った作品が売れるという感覚は無いんです。常に売れるという事を考えています。でも、今売れてる商品を作っても売れる訳じゃない。といっても、そこが侮れなくて売れる場合もあるんですが(笑)。アニメってオリジナルを作ろうとするとウチでは発想から5年はかかるんです。だから、5年後流行るものは何だろうって考える。売れ線でも好き嫌いでもなく、自分の気持ちを乗っけて本気でエネルギーを注いだ本物をつくらないと魅力的なモノにならない。そしてお客さんが喜ぶモノをこちらから提示して作らなくてはいけないんです。でも、5年後のお客さんは見えない。つまり、最終的に面白い基準は自分の中にしかないんです。自分が面白いと思わなければ、だれも面白いと思わないというのが真理かもしれないです。エヴァの時は「いける」とは思ったんですが、まさか社会現象と言われるまで当たるとは思いませんでした。
- ―作り手として、先を見据えて当たる作品を作るというのは本当に難しいことなんですね。
- 今、秋葉原で女の子を集めてアイドルを作ってもまず売れない。あの当時、秋元康さんが秋葉原で劇場を作って『会いに行けるアイドルを作る』って言った時、正直僕は大失敗すると思った。当時秋葉原は、アニメやゲームの街ではあったけどアイドルの街ではなかった。でも今は・・・。あれが当てるということ。本来、作り手としてやらなきゃいけない事はあれですよ。
- ―アニメ業界で影響を受けたという方や憧れの方はいらっしゃいますか?
- 影響を受けたといえば、宮崎駿さん、富野由悠季さん、石黒昇さん。この3人がジブリ、ガンダム、ヤマトといった今の日本のアニメを作ったと言っていい人だと思うんですけど、3人とも変なおじさんだった。僕も変わってると言われるけど、僕の目から見ても変わってる(笑)。自分が描いていた大人、社会人というイメージをぶち壊してくれましたね。3人を見て大人にならなくてもいいんだと安堵しました(笑)。でも、アニメ業界で憧れの人はいないですね。それはやはり、自分にとってアニメは手段であって好きではないからだと思います。
Chapter 6 - 人生は有限である

- ―会社としては今新しく力を注いでることはありますか?
- やはり、育成ですね。会社の利益の事も考えて今は力を入れています。特に力を入れているのは演出部。実は2年前まで会社の中で演出を育てる部署がなかったんです。で、制作部の募集をかけると、かなりの確率で演出志望が混じってる。でも実際、制作部の仕事は創作と離れてるので演出志望の人が入っても続かないんですよ。だったら最初から演出部を作ってそこでシッカリ育てようという事になりました。作品を送ってもらったり、実際に役者を用意してその場で演出してもらったりと、自分の独断で募集した中から3人採用して将来的に3人とも監督にするつもりで育ててます。特に今、文章の読み込みが甘い人が多いって思うんです。絵描き出身のアニメーターが多いから、文章の中からイメージを組み立てるというのが苦手なままプロになるという事が多い。根本的にアニメというもの以前に演出家をつくりたいと思って自分は今やってます。
- ―個人として今の若者に伝えたいことはありますか?
- 人生は有限である。この歳になると流石に感じますね。確率が高いか低いかだけで10代の頃と死の距離は変わらないはずなのに、リアルに死が見えてくる。有限の中でやれる事って意外と少ない。「一期一会」という言葉の意味がすごく良くわかるんです。若い頃は何回も会えると思うけど、今はこの人と会うの最後かもって思う。何事にも一生懸命やれというのは凄く簡単になってしまうけれども、それよりも時間は限られてて、それはとても限定された範囲。しかも、いつ終わるかわからない。今このインタンビューの場でも、ここにいる全員が揃うのは恐くないとおもう。それを少しでも意識したら有益な人生を送れると思います。
Chapter 7 - 端っこで変な事をやってるオジさんじゃないんだぞ

- ―山賀さんのこれからの野望を教えてください。
- 自分は若い時から社会を外から見ることがあった。それは社会が自分を受け入れてくれないだろうって勝手に思っていたからなんです。でも、庵野というすごく才能のある人と出会って一緒に過ごす事によって、社会は意外と近い、僕たちはそんな外にいるわけではないという事を知ることができコンプレックスを乗り越えられた。それは庵野に『社会が受け入れるだけの能力』があったからだと思う。「エヴァ」という経験は自分達にとって凄く重要なものだった。
社会の端っこからモノを見るというのはもう飽きた。今はもっと自分の思う社会というものの中に入って何かやりたい。もう少し社会に積極的に関わって良いと思うんです。20代のようなことを言ってるようですが、これも演出家を育てるという事に繋がるんです。若い頃は銀行員というレールから逃げる事からスタートした。逃げてきたから、逃げたものを僕は受け入れられないし、受け入れてくれないだろうと思い込んでた。でも、そんな事はないと最近気がついた。それこそ、銀行員のようにアニメを作れば良いんじゃないかって気持ちに思えるようになれたんです。僕の野望は、「僕も社会の一員だよ」って、「端っこで変な事をやってるオジさんじゃないんだぞ」って証明したいんですよ。もちろん、今までもそうだったけど上手くいかない事もこれから沢山あると思う。でも「なるようにしかならない」。だって、現実は自分の欲望とは全く無関係に存在している。初詣くらいはして、神頼みすることはあるけど、それにばかり頼る訳にはいかない。だから「なるようにしかならない」。『なるようにしかならない』は、自分にとっては『なるようにしかならないから頑張ろう』っていう前向きな言葉なんです。
- ―山賀氏にとってアニメは手段である。しかし、それは決して打算的な考えのものではない。「自分の出来る事」「自分の出来ない事」、そして「自分のしたい事」を冷静と情熱を持って挑み続けた故の言葉であり、自らが切り離し違うものだと思っていた社会を、再び繋げる最高の手段である。
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