
写真で世界中を飛び回る
- 高田 崇平
- 1979年
- フォトグラファー
- Munehira Takada
写真を撮り始めたのがアメリカの大学在学中。しかし当時はプロになるつもりは全くなかったし、むしろサラリーマンに憧れていた。父が映像の世界で独立して活動していたので、何となく反発したかった。家族の中で大学を卒業したのは自分だけだし、高校も友達がだれもいない家から離れた場所を選んだ。そうやって常に人と少し違うことをしたいという青春時代から、ある時、それが単にセオリーから反発したいという食わず嫌いのような人生だったと気付く。それに気付いた時、学生時代から好きだった写真の世界に飛び込もうと思い立ったのが、30代手前。ナンダカンダで尊敬する父の様な生き方に憧れを抱き出し、当時勤めていた会社を辞めた。さあカメラマンになろうと思った時、何から始めていいのか全くわからなかった。知識も技術もコネもない。そんな時、アメリカ時代の友人に誘われて何となく写真で飯を食って行こうと思いはじめることができた。
今では、学生時代の友人や先輩に支えられ、そして大手出版社とのコネクションもでき、運良くフォトグラファーとして何とか生活できるまでになった。
写真の世界は決して甘くない。そう痛感したのは、この世界に実際に入ってから。知れば知る程、写真一枚一枚の奥深さに気付く。その中でも、雑誌のフォトグラファーは短時間の中で色んなカットをそつなくこなして行く姿が、たまらなくかっこいいと思えるようになった。フォトグラファーといっても色んな種類があるが、雑誌で活躍するフォトグラファーほど器用なフォトグラファーはいないのではないか。これぞ自分の理想とするThe Photographerではないかと。そんな感性と柔軟性を備えた状態で世界を駆け回りたい。そして世界中の人に喜んでもらえる、そんな写真家人生を歩んでみたい。
30代~40代:40代までに年収1000万稼ぐ。そしてその仕事の中で、実績と感性と柔軟性に磨きをかけ、それを土台に世界を駆け回りたい。
40代~50代:拠点は東京から実家の関西か、海外。世界中にクライアントを抱えるポートレートフォトグラファーになっている。商業カメラマンというよりは、作家的なフォトグラファーを目指す。
両親;全てがすごい
加治屋誠:自分の写真の師匠的存在。この人のような写真が撮れるようになりたい。 そして人間性が素晴らしい。
大橋仁(フォトグラファー) 藤代冥砂(フォトグラファー) 三浦知良 中田英寿