佐藤雅美さんは、一度は塾の先生として就職をしたものの、生徒たちに「あきらめちゃいけない!」と教えるうちに、自分自身が自分の夢をあきらめていることに気付いたそうです。彼女は小さなころの夢だった女優を目指します。芝居を自分の職業にするために「役者」になり、社会で認められたときに「私は女優です」といえる。そして自分が野望を成し遂げたときに初めて他人を「応援する」ことができるようになる。回り道と考える人もいるでしょうが、ある日の気付きが彼女を変えました。回り道は決して人生の無駄にはなりません。宝物です。
幼いころから表現することが大好きで、いつかは女優になってお芝居がしたいとずっと思っていました。でもその夢を、誰よりも自分が信じることができなくて、自分で自分の背中を押すことができずに、諦めてそのまま塾講師として就職しました。『最後まで絶対あきらめちゃいけんよー!』そんな言葉を塾講師時代、低学年の子に毎日言い続けましたが、小さな心と経験の中でもすでに、「諦める」という感情を知っている子供たち。
そんなある日。「残り10秒!」と私がカウントダウンを読み上げた時、一人の男の子の鉛筆が男の子の手から飛んでいきました。どう考えてももう間に合いません。それでもその男の子は立ち上がり必死に走ってえんぴつを拾いに行きました。そして急いで戻ってきて椅子に座り、さっきよりも強い力でえんぴつを握りしめ必死の顔で、また問題に向かっていきました。間に合わないということを彼もわかっていたはず。
そんな瞬間を何度も何度も目の当たりにしていると「あきらめたらいけない」という言葉を子供たちに言い続けてきたけれど、その言葉を言っている自分はいったいどうなんだという問いが浮かんできました。自分で自分の背中を押すこともできず、あきらめてきたじゃないかと。私も、子供たちのように自分で自分の背中を押そう。「最後まであきらめちゃいけんよ!」と誰かの背中を押したいと思うのなら、そう言えるだけの人間になろう!と決意しました。正直、誰かの背中を押したり応援したり励ましたりというのは、その人の中身が伴ってなくても、伝えられるし、伝え方でいくらでも相手の心に響かせることはできます。それでも私は、その言葉をいうにふさわしい人間になりたい。
まず自分が子供のころからあこがれていた芝居を自分の職業にするために、「役者」になろうとオーディションを受け事務所に所属しました。
そして芝居の技術を身につけていき、いろんな作品に出させてもらうことによって社会のみなさんに認知される存在になった時に、「佐藤雅美、職業は女優です」と言えるようになると思うのです。
そんな風に自分で「こうなりたい!」という理想を追いかけていく姿を体現することができたとき、やっと本当の意味で周りの人を応援したり背中を押したりすることができるんじゃないのかなと思うのです。
日本応援団団長という言うとものすごくスケールが大きいですが(笑)
日本の誰かの応援団団長として「がんばれ!」「あきらめるな!」といえる人間になれたらと思います。
まず会社の休みを利用して東京に向かい、オーディションを受けに行きました。オーディションを受けたその日は、寒い寒い暴風雨の日。傘も飛ばされ、服も髪も荷物もビシャビシャ。宿も見つけられないし、東京の地理が分からずにずっと一人で彷徨い続けていました。なんだか急に全てが悲しく思え、こんな気持ちになるなら夢なんか追わなくてもいいんじゃないか。広島にいるだけで、家族も友達も屋根も食べ物もあったかい毛布もある。十分幸せじゃないか。そこまでして叶えたい夢なのか。・・・そう自分に何度も何度も問いかけました。
何度も何度も「そこまで女優になりたいのか」と問いかけて、雨に打たれながら女子とは思えない悲惨な状態になっていたその時でさえも(笑)、出てきた答えはやっぱり「それでもやりたい」。あのとき私の背中を押してくれた子供たちのあきらめない姿が浮かんできました。
今でも上手くいかないことがあったとき、この日のことを思い出し、その度に「そこまでして叶えたい夢なのか」を問いかけてます。
夢にチャレンジするために上京した時は、ただ「役者になりたい」「女優になりたい」という気持ちのみから、誰かを応援したり勇気付けたりできる人間になりたいと思い始めても、その対象が具体的ではありませんでした。
でも今は、故郷から離れることで、たくさんの人の応援や想いを知ることができ、自分だけのためでなく、それこそ故郷の広島に対する恩返しなどができる人間になりたいと思うようになりました。
そんな風に視線を自分の中から、自分以外の人に向けることで、やりたいことや、やる必要があることが何か分かり、以前よりもアグレッシブに動けるようになりました。
広島に恩返しをしたい!広島を元気にしたい!そんな自分になりたい!
そして私には広島があるように、人は誰にも故郷があります。
広島だけでなく、日本のいろんなところ、いろんな人を応援できる人間になりたいです!
まず、根本的にある程度自分が世間で知られなければいけないというのが1番の課題です。
自分自身がある程度商品として価値が出れば、動ける範囲が増えてくると思います。
広島の人が、もっと広島を好きになってくれる。日本の人がもっと日本を好きになってくれる。みんなを私なりのやり方で応援して、日本が元気になる。
20代~30代:
知名度を増やす。役者としての仕事で食べていけるようになる。
貰い手がいましたらぜひ貰っていただきたい(笑)
30代~40代:
女優として、世間から認められるようになる。(舞台・映画などに出演できるように)
貰い手がいましたらぜひ貰っていただきたい(笑)
40代~50代:
引き続き貰い手がいましたらぜひ貰っていただきたい(笑)
そして子育てに没頭してみたい。家を守ってみたい。きっとその経験が芝居にも生きてくる気がします。そして60才になったら、いかりや長介さんのように味のある演技ができる役者になりたい!
前田智徳選手(広島東洋カープ):たくさんの挫折を味わっても諦めないで続けている方だから
湊かなえさん(小説の中の会話が生きているように感じるから)