
他人の人生を変える表現者
- 岩元 真樹
- 1982年
- 俳優
- HP
新宿での出会いでした。地方ロケから帰ってきたばかりということで、お疲れなのでは?と少し心配しましたが、いざ話し始めてみると、彼の通ってきた人生と決意を熱く語ってくださいました。
母子家庭で育ち、借金を背負った過去、ドラマで見るような多くの苦労を経験してこられた岩元さん。一緒にコーヒーを飲みながら今までの人生を聞かせてもらっていると、苦労から生まれた確固たる決意がビシビシ伝わってきました。自分がどん底を経験したように、そんな人たちに光を与えたい、そんな人たちに関わって辛い気持ちを日本から減らしていきたいと。
小学1年の時に芸能プロダクションに所属し子役をしていて、なんとなくテレビに出たい気持ちで高校入学後、演劇部に入りました。
高校1年の冬、家族旅行でNYに行きました。そこで本場のブロードウェイ作品を初めて見て、それまでの自分の世界観が変わり、本気で芝居をやりたいと思いました。私が見た作品は、「美女と野獣」「オペラ座の怪人」の2作品。もちろん言語は英語で、言葉をすべては理解できません。しかし、出演している役者の表現と直接伝わってくる迫力や雰囲気でストーリーを充分に感じることができました。ただの目立ちたがりだった私が、この感動や喜びや悲しみを沢山の人に味わってもらいたいと思ったのがきっかけです。
高校2年になり、それまで所属していた演劇部をやめ、福岡にある芸能プロダクションの養成所に入りました。高校という枠にとらわれるのではなく、幅の広い表現ができる可能性が高いと思ったからです。
当時鹿児島に住んでいて、週末になると福岡の養成所に通う生活。家族や先生から支援していただいたことが心の支えでしたが、友人や周囲からは疑問視されていました。養成所では自分の実力のなさにがっかりする毎日。
そんな悔しさの中でたどたどしくも仕事をいただき、徐々に周囲の目に触れるところにまで出演するようになり、応援していただける方が増えました。今でも昔と変わらない夢を持っていることを旧友に話すと驚かれますが、あの時諦めなかった自分がいたからこそ今の自分がいる。本当に良かったと思います
大学で演劇を専攻し、卒業後も事務所や劇団で舞台を踏ませていただきました。常に新しい表現手段や道を模索するうち、自分で映像を制作をするようになりました。
昨年の春からとある事情で活動を休止せざるを得なくなりました。自分の甘さも多々ありましたが、悔しくて仕方ありませんでした。私の野望は「他人の人生を変える表現者」。表現の場に出なければ意味がありません。活動を休止してからもいろんなことを吸収し経験してきたと思います。諦めないことも自分の人生で体現出来る一つのことだと思います。
最近になってようやく、活動再開の目途が立ってきました。自分の表現が世の中の役に立つと信じ、積極的に活動をしていきたいと思います。
「活動の場所」
活動の場所が増えれば増えるほど、より多くの人にその作品や自分の表現を見てもらえます。すると、次々に伝えたいことを模索し、また新たな表現が生まれ、誰かの人生に影響すると思います。
世の中に興味がない人や、人生に面白みを感じない、生きる価値がないと感じるという人たちが減ると思います。自分がそうであったように。
20代~30代:
役者の基盤と繋がりを積立。
30代~40代:
プロとしてデビュー。活動の拠点を映画に絞る。
40代~50代:
舞台を拠点に活動。観客と直接向き合う役者に。
母:私が役者を目指すことに反対することなく、ずっと応援し続けてくれている。女手一つで厳しく育てられました。
香川照之(市川中車):映画「鬼が来た」を観て鳥肌が立ちました。最近話題になった歌舞伎出演の経緯を見てもすごいと思う。
香川照之
百田尚樹(作家)
沖方丁(作家)